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【東方SS】大寅騒動

東方星蓮船より一篇。そろそろ暖かくなってきて……

花粉がひどい時期です(ただの私怨

続きを読む、より宜しければお暇つぶしにでも。


「それでは皆、合掌致しましょう。この御馳走を頂けますことを感謝致しまして」

『いただきま~す!』

 命蓮寺に元気な声が響いた。早朝のお勤めから始まり、掃除・洗濯の類を済ませた後の朝御飯は一門が顔を合わす大切な時間になっている。
 白蓮が封印から解き放たれる前は銘々の役割をこなす為に駆けずり回っており、また聖輦船の運用で忙殺されていたこともあって食事も儘ならない日が多かった。食べることが必須でない村紗は兎も角、他の面々は暇を見つけては簡素な食事を喉に押し込むという生活を続けていたし、また、それに辟易もしていたのだ。
 そんな事情もあり、定住の地を見つけて後、白蓮の『食事は皆揃って頂きましょう』という提案に反対するものは無く――というよりも皆諸手を上げて賛同し、それ以来の生活のリズムとなっている。
 とは言え、何事にも例外はあるもので。

「あら、鵺は?」
「相変わらず行方知れずですよ、姐さん。拾って貰った恩もさっさと忘れて、今頃何をしているのやら」
「そう目の敵にするものではありませんよ、一輪? あの子が何かしたらその時考えましょう。不肖の弟子に懲ば……教えを説くのも私の役目です」
「……聖、今明らかに懲罰って言いかけ……いや、なんでもないです、はい」

 突っ込みを入れかけた村紗が白蓮の笑顔に押されて撤退した。味噌汁から油揚げをつまみ上げると、無造作に開けかけた口の中に放り込む。その隣で満面の笑みを浮かべたまま、ものも言わずに白飯を頬張っている山彦のぴこぴこ揺れる耳を手で押しやりつつ、先程から感じていた違和感を口にした。

「鵺はまぁ別に珍しいことでもないけど……虎は? 勤行の時から見ないけど、毘沙門天様に呼ばれでもしたの?」
「ああ、星なら居ないよ。今日の朝は私と雲山が当番だったから普段より早く起きたんだけど、起きて直ぐナズーリンが迎えに来て、眠くてぐずってる星を叱りつけながら出てった」

 緑茶を啜りながら、事も無げに一輪が云う。

「それさ、毎度思うんだけど。鼠が虎……かつ主人に説教するってのは如何なんだ……?」
「無礼だって?」
「いや、威厳的に」
「今更じゃないか、その指摘。ちょっと響子! ご飯こぼれてるよ、勿体無い」

 村紗との掛け合いの合間に、響子の世話を焼く一輪。白蓮はこの光景が見られただけでも復活した甲斐があったと口元を綻ばせた。何気ない朝の一幕ではあるが、春の陽射しが差し込む畳の間に妖怪が集まり、穏やかに過ごせるというだけでも彼女が忌まれて封印された当時には高すぎる望みだったことを思えば、我が志成れりと感慨深い。
 だが、幻想郷の住人を遍く救済するためにも、もっともっと頑張らなくてはならないのだ――そう決意も新たにしたところでぽんと一つ、手を打つ。

「一輪、食事が済んだら教えを広めに行きますよ。水蜜と響子は留守を頼みますね」
『はーい』

 命蓮寺に再び元気な声が響く。皆でもう一度手を合わせて、今日の糧に感謝すると、各々の支度に散っていった。
 朝餉が終わり、白蓮と一輪が衆生――主には妖怪だが――相手に説法に出かけるのを見送れば、その後村紗には特別やるべき事は無い。誰かがいきなり襲撃してくる恐れがまるで無いとは言わないが、基本的に始終気を張っている必要のない時間だ。流行歌でも口ずさみながら食器を洗い、昼の下拵えを済ませてしまうと途端に暇になる。
 正式に弟子として仏門に帰依した一輪とは違い、村紗の立ち位置はやや気楽な所にあった。居を構えてから何度も正式に修行をしようと誘われたが、白蓮の事を『聖』と呼べるその距離感を彼女自身気に入っていたし、先々はともあれ、彼女が復活して大して時間も経っていない今、昔と急に態度を変えるというのも変に思われたのだ。

「だけど、ああ……暇は暇だなぁ」

 縁側に座布団を並べて干していた筈が、気づくとその上にごろり横になっていた村紗が大欠伸して独り言ちる。
 星輦船も命蓮寺として生まれ変わった今、『憚りながら船幽霊でござい』とやっても今ひとつ格好が付かないし、外に出ても海が無いのでは更に間が抜けている。主の留守中に寺に来る客があればその相手もしようが、今日はそんな気配もなかった。
 何が面白いのかあちらこちらと鼻歌交じりに日がな一日掃き清め、羯諦羯諦と読経の真似事をしている響子を横目に陽にあぶられていると、ついうっかりと成仏してしまいそうな良い心持ちになるのも最近の気候の所為だろうか。
 外では少し早めの鴬が鳴き始め、もう間もなく桃の蕾も開くだろうという、そんな季節である。

「願わくば、花の下にて春死なむ……か」

 そんな歌を作った人間が表の世には居たらしい。
 其れを聞いた時には随分贅沢を云う奴が在ったもんだ、と鼻で笑った村紗ではあったが、心落ち着く日々に口に出してみれば、成程そんな心境も判る気がする。
 今更死に方を変更してもらう訳にも行かないから、せめて今年の花見は桜の下でしこたま美酒を呷ってやろう。幻想郷の連中は祭り好きだと聞いてるし……そんな不埒な考えを連々と並べている内、村紗の喉が鳴った。

「…………皆留守だし、なぁ」

 居ないと判っていてもきょろきょろと見回してしまうのは疚しさの現れか。
 響子が表に出たのを確認し、村紗はとととんと渡り廊下を跳ねて自室へ飛び込む。押入れの奥に頭を突っ込んだままがさごそと引っ掻き回していたかと思うと――

「へへへ……んん、久しぶりだねぇ」

 奥から引っ張りだしたのは、雑紙に包まれた高さ一尺半程の何か。
 いそいそと紙を剥ぎとると、中から現れたのは一本の酒瓶である。素焼きを釉薬にどぼんと漬けて色をのせただけ、絵付けも何もない白色の厚い層から覗く土色がなんとも言えぬ無骨さを放っていた。酒は入って五合余りか、そう大きくないそれを振るとちゃぽちゃぽと小気味いい水音が戻る。
 村紗はそのすらりと伸びた胴腹に接吻を一つくれると頬ずりした。

「流石に皆の前で大っぴらに飲むわけにはいかないしね……っと」

 蓋の代わりに被せてあるぐい呑みを片手に、木栓を歯で噛んで引っこ抜く。ぽんっと景気のいい音と共に立ち昇る芳香は米の酒のそれでなく、独特の甘ったるさと強めの酒気を孕んだもの――甘藷由来の焼酎の香だ。
 白の酒瓶に対するぐい呑みは黒一色、小ぶりな湯呑と言ったほうが正しいような大きさだが、此方も外側はシンプルな作りになっている。その中に透明な酒を注ぎ込むと、唯一の装飾として底に配してある金箔が浮かび上がり、酒の面がゆらゆら揺れる度に一緒に揺蕩って踊る。締め忘れて僅かに開いた障子戸から差し込む日が反射して、まるで川底の砂金を水面から見つめている様な風情だ。

「んじゃ、失礼して……」

 くっ、くっと数度に分けて口の中に流し入れ、暫し味わって喉へと落とす。濃厚な甘さが滑り落ちたかと思うと、胃の腑へ通じる道が熱く灼かれ、思わず知れずに漏れでた溜め息と共に、芋の匂いが鼻腔へと抜けた。

「嗚呼、この一杯のために生きてるッ…………いや、生きちゃァ居ないか」

 一人で下らない冗談を云って一人でケタケタ笑っている分には世話は無いが、そう彼方此方と御機嫌でふらつく訳にも行かない。なにせ事が露見すれば白蓮からきつい仕置を受けることは疑う余地もなく、普段は隠れてこっそりと一杯ずつちびちび飲むに留めていた。
 しかしこの長閑な陽気に気が緩んだか、何時になく一気に杯を干してしまった村紗が逡巡する。物欲しげに瓶とぐい呑みを交互に眺めて暫し、今日はもう一杯ぐらい良いか……と注ぎ入れ、さて改めてと杯を傾けた、その時だった。

「ただいま帰りましたぁ~……眠い……」

 玄関の引き戸がカラカラと音を立て、続いて疲労困憊といった声が遠く聞こえてくる。
 含んだ酒を危うく噴き出しそうになり、慌てて口元を押さえる。なんとか嚥下すると大慌てで瓶に蓋をねじ込み、紙をぐるぐるに巻きつけて押入れに潜り込んだ。辺りの物を邪魔とばかりに弾き飛ばし、かき分けた奥に突っ込む。その間にも廊下を踏む僅かな軋みは着実に部屋へと近づいて来る。

「村紗、いますか?」

 声の主は明らかに寅丸星だ。表の山彦に居ることを聞き、律儀に帰着の挨拶に来たらしい。今にも入って来ようという体の彼女にちょっと待ってと声を投げつけておいてから慌てて辺りを見回すと――畳の上にはぽつんと一つ、ぐい呑みが満々の酒を湛えて残っていた。

「あっ、やばッ……」
「村紗? 開けますよ?」

 中のドタバタ音を聞きつけて、何事かと心配げな声の主がついに障子戸に手を掛ける。

『南無三――!』

 白蓮の口癖が村紗の脳裏を過る。躊躇っている暇もあらばこそ、ぐい呑みを引っ掴むと思いっきり顎を反らして焼酎を流し込み、頬が張るほどの量を一気に飲み込む。ごくり、ごくりと威勢よく二口やったまでは良かったが、アルコールの臭いの強い焼酎を一気に流し込めば如何なるか、冷静に考えれば分かりそうなもので――

「!?」

 楽しんで飲めばいい香りでも、急激に回れば辛いもの。急激に鼻へと逆流した酒気に耐え切れずに村紗が噎せ込んだ。
 大概の場合、悪いことは重なると相場が決まっている様で、酒が霧吹きの様に舞った先には、村紗に声を掛けようと今まさに障子戸を開け放った星の姿があった。

「げほッ、げほッ、の、喉痛……! うああ、鼻の奥に……ッ」
「………………」

 悶絶する船幽霊というのも大概な画面だが、それが吹き出した酒を頭から被った毘沙門天の弟子というのは更に間抜け極まりない。何事が起こったか理解し切れない様子の星は呆然として固まったまま、口をぱくぱくさせている。

「ご、ごめん、星、いや、これは違うんだ、手違いでね?」

 こんなところだけ人間だったころと同じような体構造をしていることを恨みつつ、村紗がなんとか取り繕う。いったい何が手違いなのか判りゃしないと心の中で時分に毒づきながら、ともあれ笑顔だけは浮かべてみせたのだ。
 だが、星はピクリとも動かず、口もきかない。
 多少抜けたところのある星とはいえ、出会い頭に酒を頭から吹きかけられたら怒らない訳はないだろう。一瞬どうしたものかと考え込みかけたが、放っておけば全身べたべたになってしまうと気付いた村紗は障子戸に掛かったままの手をとった。

「兎に角早く風呂に行こう、それと洗濯もしないと駄目か。悪かったけどさ、ほら、急がないと…………おい、星?」

 如何にも様子が可怪しい。
 先ほどから星の反応が鈍すぎる――訝しんだ村紗の眉根が寄った。
 怒っているにしては目が吊り上がることもなく、睨みつけて来るわけでもない。そもそも星に怒られた記憶が殆ど無いので断言できることではないが、彼女静かに怒りの火を灯すタイプでないことは確かだ。
 今眼の前に居るのはどちらかというと、そう、まるで飲み過ぎて目の据わった酔っ払いの様じゃないか――そこまで村紗が思い至った途端に、星の手に力が篭る。そのまま絡め取られるように引き寄せられた。

「……………………キャプテン?」
「は、はい?」

 思わず村紗の背筋が伸びる。漸く発せられた言葉は妙に甘ったるく、とろんとした目つきと相まって、何かぞわぞわするような感覚がそこを一撫でして通り過ぎる。
 何も無かったことにして逃げてしまおうという思いと、もとを正せば自分の所為じゃないかという後ろ暗さが頭の中でせめぎ合う。そんな一大葛藤を知った風もない星は、握られた手を掴んだまま、もう一方の手で優しく撫ぜた。

「あ、あの、星さん? そのままだとですね、大変こう、お体に宜しくありませんので、お風呂にですね?」
「何でですかぁ…………?」

 怪しげな笑みを浮かべた虎が、舌なめずりしながらにじり寄ってくる。ますます背筋の伸びた村紗が後ずさると、更に身を乗り出した星が鼻を鳴らした。

「な、何して……る、の?」
「さっきの『水』と一緒で、なんだかいい匂いがするんですよねぇ…………村紗から……」

 意味ありげな流し目を送りながら星が一歩、村紗が下がってまた一歩。
 背中の軽い衝撃に首を回すと、知らぬ間に壁際まで追い詰められていた。片手は確りと握りしめられていて離れず、後ろは壁で前には虎。文字通りの虎口がゆっくりと近づき、薄く開いた口から、尖った犬歯が覗く。

「と、兎に角一回落ち着こう、ほら、水、水を飲みに……」

 妖しく光る目を直視できずに視線を外した隙を狙いすまして、星がずいっと顔を近づける。慌てて振り向いた村紗の眼前には星の牙が迫っていた。
 噛まれる、そう思った村紗が身を竦めた刹那――

 べろ。

「……は?」

 予想外の事態に、先ほどとは理由を異にして村紗が硬直する。その首筋、頬に星がじゃれつき、舌を這わせていた。

「ちょちょちょちょ一寸待っ、待って!」
「んにゃあ……?」
「ニャアて。にゃあてアンタ、い、いきなり何して……ちょっと、何嗅いでんの、待て、おちつ――ぎゃあああ!?」

 口元を舐められて総毛立った村紗が仰け反る。直ぐ後ろが壁だったことを一切合切忘れていた結果、強かに後頭部を打ち付けてしゃがみ込んだところへ、格好の遊び相手とばかりに星が飛びついた。横薙ぎに押し倒されたが為に碌な抵抗も出来ない相手にがっちりと伸し掛かり、そのまま顔中を朱い舌で舐めまわす。特に口元は酒気が残っているのか、執拗に狙われ続けた。

「星、やめ、んむううっ!」

 遂には口の中にまで舌をねじ込まれる。そのままじっくりと舐られ、口内を好き放題に蹂躙されながら、村紗は必死になって逃れようと藻掻いた。
 傍から見れば暴漢に襲われる少女そのものの構図である。床の間に椿が生けてあればポトリと落ちる暗喩が引かれるところだが、未だ冬の明け切らない弥生の初めの事、早咲きの梅の枝が一輪挿しに刺さっているばかり。
 村紗の操が儚く散るのも目前に、それを妨げたのは障子戸に移る小柄な人影だった。

「おい、さっきから声をかけているのに、返事ぐらいしたらどうなんだ、キャプ……」

 遠慮会釈もなく戸を引き開けて現れたのは、片手に宝塔を携えたナズーリンである。勢いよく開け放った姿勢のまま、今度は彼女が絶句して固まってしまった。
 己の主と仰ぐ人物が普段寝食を共にしている友人を組み敷いて、あまつさえ唇を奪っている現場に出くわしても冷静でいろというのはどだい無茶というものだが、流石小さな賢将との二つ名で知られた彼女は金縛りから直ぐに脱却する。そのまま額を押さえ、顔を背けて、何か耐え難きを耐えたかの様な表情で言い放った。

「君等、真っ昼間から『それ』をやるなら……せめて戸締まりぐらいはし給えよ」
「ぶはっ、ち……違ぁぁぁぁう! 早く助けろチビ鼠ぃぃぃぃ!!」

 村紗の絶叫が命蓮寺中に響き渡り、庭の梅の木で羽を休めていた番いの鴬が慌ててふためいて飛び立つ。
 門前で掃き掃除中の響子も思わず母屋へ振り返ったが、君子危うきに近寄らず……そう一つ呟くと箒を担ぎ、鴬を追って墓場の方角へと駆けだした。

 *   *   *   *   *   *   *   *   *

「…………何をやってるんだ、君は」
「いや、その……まぁ、なンといいますか……」

 四半刻の後、腕組み仁王立ちのナズーリンの前で正座させられた村紗は、しどろもどろで弁解に追われていた。
 傍らでは星が気持ち良さそうに寝息を立てている。槍を投げ出したままころんと丸くなっている様は陽溜まりの猫と大差なく、時折モゾモゾと動いては折り曲げた手首で顔を撫ぜ、満足気な表情で再び寝入る事を繰り返す様子に至っては、本当に猫になったかと疑りたくなるほどに普段の様子からかけ離れていた。

「一体何があったんだ?」
「いやぁ、あっしにもサッパリで、ええ。ホントに」
「分り易すぎる嘘は良いから。早いとこでキリキリ白状し給え……とは言え、実のとこ見当はついてるんだが」

 一頻り暴れまわって手を焼かせた挙句、太平楽に寝てしまった主にちらり目をやったナズーリンが、頬に四本走ったミミズ腫れを痛そうに擦る。がっちり抱え込まれた村紗を引き剥がそうとした折に、それを嫌がって抵抗する星に引っ掻かれた名誉の負傷……そう深い傷ではないが、赤い痕はパッと見で判るほどにくっきりと残っていた。

「君、酒を飲ませたろう」
「えー、あー」

 遠慮も会釈もない直球の指摘を受け、露骨に村紗の目が泳いだ。

「嘘のつけない女だな……大方、その襖の奥に酒瓶でも隠してるんだろ」
「な、なんでそれを」
「泳いだ目がチラチラとそちらを向いていれば丸わかりだよ」

 長嘆息したナズーリンの前で村紗ががばと平伏する。額を畳にこすりつけてと云うのは一般的には比喩表現だが、今の船幽霊はそれを地で行っていた。

「な、何卒穏便に……特にその、聖には…………」
「何も寺で飲酒がどうのという話をしたいんじゃないさ。別にキャプテンが飲む分には知ったことじゃない……聖にバレようがバレまいがそれも知ったことじゃないがね」
「そ、そんな殺生な……」

 半泣きの村紗が蚊の鳴くような声で嘆くのを見、もう一度嘆息させられたナズーリンが頭を掻きながら続ける。

「安心しろ、別にチクリとは行かないよ。だがね、流石にご主人に飲ませたとなると話は――」
「あ、いや、一寸待った」
「あん?」
「飲ませてないんだ、一滴たりとも……一寸した事故はあったけどさ」

 半刻前まで芋焼酎を呷って御機嫌だった人物と思えないほどやつれてげっそりした顔を上げ、手を横に振って否定する。ナズーリンは理解しがたいという顔で首を傾げた。

「じゃあ何か、木天蓼でも嗅がせたのか?」
「そんな事しやしないよ、鵺じゃアあるまいし……いや、信じてもらえないかもしれないけどさ――」

 事の経緯を説明する村紗の言葉を取り敢えずは黙って聞いていたものの、酒の霧を吹き掛けた辺りで目頭を押さえ、押し倒された辺りで手を挙げて言葉を制した。その姿勢のまま、何か自分の気持に整理をつけるように大きく深呼吸して、漸く顔を上げる。

「嘘じゃあるまいね、その話」
「この期に及んでお前さんに嘘をつく意味が?」
「…………まぁ、無いな」

 今度は溜め息一つついてどっかりと腰を下ろす。そのまま主人の額にデコピンを一つくれて、ナズーリンは頬杖をついた。星は額を押さえ、うぅとうめき声を漏らしたが、そのまま背を向けるように寝返りを打つ。まだまだ覚醒する気配もなく、直ぐに穏やかな寝息を立て始めた。

「正直、酒の霧を吸い込んだだけであんな有り様になるとは思わなかったよ」
「私も同じことだよ。酒癖については知っていたが、まさか其処まで弱いと……いや、ちょっと待て。結局もとをただせば君の所為ってことじゃないか」
「うッ……そ、それより、なんで弱いって知ってたんだ?」

 何とか話をはぐらかそうと、冷たい視線を見ないふりをしつつ村紗が聞く。ごく何気ない質問を投げたつもりだったのだが、ナズーリンは一瞬遠い目をして俯いた。
 云おうか、云うまいか。そんな色を含んでちらちらと上目づかいに此方を伺う、らしからぬ様子の賢将に、云いたくなければ良いよと言いかけた時、ふっ……と短く詰めた息を吐いた音が村紗を押し留めた。

「昔……それこそキャプテンがまだ地の底に封印されていた頃の話だがね。聖を失い、飛倉も失って寄る辺もなく、ただ只管に毘沙門天としての責務を全うする事だけを御主人が目指していた時期があったのは、識ってるかい」
「え? いや、唐突だな……ううん、まぁ、はっきりと聞いては居ないけどさ。お互いその辺りは暗黙の了解で触れないようにしてたじゃない」
「うむ、まぁ、そういう時代もあったのさ。もともと聖の神輿に担ぎ上げられた身とはいえ、いまさら妖獣であることは明かせず、さりとて聖との親交の情も捨てきれずと、苦悩しながら寺を守っていた時期がね」
「ふん?」
「徐々に荒れていく寺を見かねたが、直接手を出すワケにはいかなかった。聖は人間だから放逐で済んだともいえるが、妖怪が居る寺などと噂されたら殺されかねないからね……そんなこんなで手を拱いているうちに状況は悪化していくばかりの日々に、歯がゆさと後悔で心も荒れてしまったご主人が、いつ奉納されたか判らない酒を一抱えもある大盃で一息に呷ったことがあった」
「あぁ……」

 ナズーリンが先刻云った『見当』というのは、その時の経験からきたものなのだろう。酒の霧を吸い込んだだけでこうまで見事に酔った星が、一升近い酒を一気に飲んだとあれば、今回の比ではない事態に陥ったのは想像に難くない。
 元々は監視役だったナズーリンが他に頼れる当てもないその状況でどれだけの苦労をしたか……その一端は、今眼の前にある笑うに笑いきれないといった彼女の表情を見た村紗にも感じられた。

「その時も、こんな?」
「いや、もっと酷かったよ。今日は毘沙門天様のところへ久方ぶりに御挨拶に行く都合上、朝早く叩き起こしたから眠かったんだろう。ある意味じゃ助かったとも言える」

 ナズーリンが今度は優しく頭を撫ぜる。少し癖のある髪がはらりとほつれ、前髪が瞼へと流れ落ちた。それを掻きあげたナズーリンの手がふと止まる。
 今ひと時は落ち着いているのだし、女の子らしくしたらどうかと村紗や一輪が教えても、はにかむばかりで化粧をしない星だが、それ無しでも充分に切れ長の目と、そこからすらりと伸びる睫毛は確かに虎を思わせる凛々しさを秘めていた。宝塔を右手に、槍を左手に持った毘沙門天代理としての彼女にはよく似合う、眼。

「あの時のご主人の眼は、まるで傷ついた虎の様だったな。煮え滾って溶けた鋼、さもなきゃ暗い闇夜じみた眼をしていた」
「荒んだ星なんて、見たくないもんを上から数えてイの一番で出てくるけどなぁ」
「私はいろは四十八の全部埋めても良いってぐらいさ……もう二度と見たいとは思わないよ。そんな状態で酩酊したもんだから、諌めて止めても聞きやしないし、辺りの物は手当たり次第に投げるし……もっとも荒廃した寺に物なんぞ大して残っちゃ居なかったが」
「……酷い有様」
「暴れるだけ暴れても人が来るような状態じゃなかったのは不幸中の幸いとでも言えば皮肉になるがね……暫くしたら今度は泣きだしたんだ。腰にかじりついて止めようとしていた私の肩を掴み、虚ろな目でじぃっと私を見たまんま、『私は虎だ、虎なんだ』って何度も掻き口説きながら、童みたいに声を上げてね」

 昔を懐かしむように目を閉じたナズーリンと、無邪気な寝顔の星。障子が濾した陽の光を受けて佇む二人からは、見目の年格好とは真逆の関係をもって、親子のような情愛が感じられる。鼠は虎を見張っているうちに、その強さと勤勉さの裏側に隠されたものを見ぬいたのかもしれない――村紗は柱に背を預けながら、暖かいような、悲しいような心持ちを持て余していた。

「最初は、虎だなんてのは判りきったことで、何を今更酒の勢いでぶちまけてるのかと思った。兎に角如何にかこうにか宥めすかして、寝床で横にならせて……こんなに明るい部屋じゃない、朽ちた建物の薄暗がりの中だったけど、こうやって寝顔を眺めているうちに判ったんだ」
「…………」
「ご主人は多分、私を私だと思っていなかったんだろうな。誰か知らない、毘沙門天の加護を頼りにあの廃寺じみた場所に来た、参拝の人間にでも見えていたんだろ」

 表からは何の音も聞こえない。
 穏やかな天候がもたらした凪で葉が揺れることもなく、何処かへ行ってしまった鴬の声もしはしない。外を背に座したナズーリンの表情は影に覆われ、今この話をただの昔話として語っているのか、それとも何か別の意図をもっているのか――その機微を村紗に読み取らせてはくれなかった。

「ま、そんな有様だったからね。ますます人は来ない、寺は荒れ果てる。毎日毎日暗い顔をした御主人を見ているのもいい加減辛くなってきたから、説得して毘沙門天様のところに戻ろうと決めた途端だよ。何の因果かキャプテンと一輪が戻ってきた」
「因果とは酷い云い様……ちょっと待った。もしかして、あの時泣きべそかいてた星の後ろで微妙そうな顔してたのって」
「また余計なタイミングで帰ってきやがったな、とは思っていたのだけど……まて、冗談だ、柄杓を仕舞え。いやその、あれはなんだ、うん……」
「何さ、はっきりしなよ」

 膨れ面で村紗が急かす。頬を突いてくる底抜けの柄杓を尻尾で払いのけながらナズーリンはまた俯いた。
 幾許かの逡巡の後、ばつが悪そうに目線をさまよわせながら、小声で呟く。

「……ご主人が更に辛い目にあうんじゃないかと、そう思ったんだよ」
「なんだそりゃ」
「悪かったって。昔の仲間……特にキャプテンに会ったら罪悪感で潰れてしまうか、さもなければまた酒に逃げでもするんじゃないか不安だったのさ。今だから杞憂で終わったと云えるが、あの酒乱っぷりを見た私からしたら切実な問題だったんだよ」

 もう一度主人の髪を梳いて、ナズーリンが立ち上がる。床に転がったままのぐい呑みを取り上げると、底に僅かにだけ残っていた焼酎を舌の上に落とした。

「……私は、さっきの御乱行をみて、少し嬉しかったんだ」
「何でよ。すごい大変だったじゃん」
「そうだけどね。酔っぱらっても、何かを壊したり、傷つけようとはしなかったろ? キャプテンにしてみればいい迷惑だっただろうが、ああやって人に甘えたり、触れ合えるような環境になったんだなと……改めてそう思えたからさ」
「…………ん。そだね」

 微笑むナズーリンに、村紗が今度は確りと頷く。

「尤も、暴れる代わりに甘えてじゃれつく猫じみた御主人というのも……それはそれであんまり見たくはないんだが」
「ちょっ……お前、今しがた嬉しいって言わなかったっけ?」
「だからさ。それはそれなら、これはこれという言葉もあるんだよ」

 顔を見合わせて、今度はお互いに笑い合う。
 まだまだ夢現の星に肌掛けをそっと掛けてやり、連れ立って外に出る。大騒ぎしている内に昼食の時間はとっくに過ぎていた。流石にまだ夕刻というような刻限ではないが、太陽は僅かばかり西に傾き始め、その輝きを僅かに緩めていた。
 そんな陽射しの中、すっかり掃き清められた庭の手水鉢の周りを小さな蝶と蜂がのんびりと舞っている。絵に描いたように穏やかな八つ時だ。

「暫く酒は止すかなァ」
「何だ急に。仏門に帰依しきった訳でもなし、偶の楽しみがなくて精進潔斎じゃ船幽霊とて身が持つまいに」

 尻尾をゆらゆらさせながら、ナズーリンが肩を竦める。言外に『無理だろ』という意図が隠れているのを感じ取った村紗は唇を尖らせて言い返した。

「そうは言うけどね、今日みたいなことがあっちゃ、今後飲むのは気が引けるよ。流石にその程度の思慮分別は弁えたお姐ェさんだよ、キャプテン・ムラサは」
「いい女を気取るには千年早い……いや遅いのか? この場合」

 鼻で笑ったナズーリンの頭の天辺に拳骨を落としながら、村紗はどこかスッキリしたような心持ちになっていた。
 皆が『キャプテン』と呼んでくれるとしても、定住地を得た以上はもう船長とは名乗れない、ただの幽霊の身だ。此の侭この世が何時まで続くのかは識りもしないが、ただただ日々をのんべんだらりと暮らすのは胡乱に過ぎるだろう。
 ――なら、友が悩み苦しんだ末に手に入れたこの場所を守る者になろう。その誓いの証に、酒ぐらい断ってやるさ。

「幽霊がチャレンジ精神持ったって良いと思うんだよ」
「……? まぁ、良いんじゃないか。よく分からんが」

 首を傾げたナズーリンが、村紗の顔を盗み見る。そこに浮かんだ満面の笑顔に何を感じたか、敢えて問い返すことはせず言葉を留めたが、ふと思い出したように付け加えた。

「そういえば、言い忘れてたんだがね」
「ん?」
「ご主人酔っ払い事件についてさ」

 立ち止まって部屋を顧みるのに釣られ、村紗も歩を止める。長い廊下の突き当たり付近はここからではよく見えない。

「酔っ払いなんて、寝て起きりゃ大丈夫だろ? そりゃ多少酒が残ることも在るかも知れないけど、話聞いてる限り酔った間のことは覚えていないみたいだし、私達二人が黙ってりゃ穏便ってもんで」
「そこさ。さっき話した話、寝かしつけたご主人が起きてきた時分には、確かにキッチリ酒は抜けてたんだ」
「結構な話じゃないの」
「ああ。目を覚ましたのが三日後だったってことを除けばな」
「……………………はい?」

 意味理解するのに三秒ほど、更にその意味を受け入れるのに更に五秒ほど掛けた村紗が、腹の奥からなんとか声を絞り出す。ナズーリンはその準備時間の間にとっとと空へ飛び上がっていた。

「どうもお邪魔様。私は自分の塒に帰るとするよ」
「ちょッ、待て、ナズーリン! お前何しに来たんだよ!」
「宝塔を届けに、だ。さっき御主人の近くに置いといたから、起きるまで管理しておいてくれ」

 この状況で冷静に返されて、逆に村紗が言葉に詰まる。
 考えてみれば星が寝ているのは自分の部屋である以上、面倒は当然見ざるを得ない。この寺で寝起きしていないナズーリンと二人で部屋に籠っていたら勘ぐられて事が大きくなりかねない……そうである以上、彼女を呼び止めても特にメリットはないのだが、兎に角逃げられるようで癪に障るのは確かだ。

「まぁ今回は直ぐ目を覚ますだろ、多分。聖が戻るまでになんとか叩き起こして状況を説明すれば良いだけさ」

 そのまま意地悪そうに口を三日月にして笑う。

「なぁに、チビ鼠の助けなぞ借りずともキャプテンならやれる」
「それ明らかに意趣返しじゃん! いや、ちょっと、おい!」

 ひらひらと手を振り、全速力で飛び去っていくナズーリンを追う発想にも到らず、手を伸ばしたまま立ち尽くした村紗が再起動するまで一分弱。

「あ、あの、あの、性悪鼠ぃぃぃぃッ!!」

 今度の叫び声は命蓮寺の外まで響きわたった。
 丁度墓場の掃除を終えて戻ってきた響子がまたかと呆れて空を見上げる。と、天高く春告精がくるくると楽しげに舞っているのが見えた。

「あッ……『春ですよー』……うふふ」

 僅かに上空から届く声を慎ましやかに木霊させて、響子は庫裏に掃除用具を仕舞いに向かう。
 春は弥生の午後三時――明日ものんびりと晴れそうな、そんな日の閑話。
 これで話もお終いなのだが、結局その日の夕飯時になっても目を覚まさすこと無く、幸せそうに眠り続ける星の姿を訝しんだ白蓮に笑顔のまま問い詰められて一切合切を白状した村紗がどうなったかは――


「ううん……?」
「如何した、ご主人。そろそろ出ないと拙い時間だぞ」
「なんか、昨日のお昼寝の間にいい夢を見てた気がするんですけど、内容をとんと覚えてないんですよねぇ……」
「まぁ、いい夢だったなら良いんじゃないか?」
「そうですかね……ところでナズーリン、なんでキャプテンは正座で石を抱かされて――」
「はい行こう! 直ぐ行こう! 今日も快晴で気持ちのいい日だぞ!」


 ――――どうなったのかは、誰も知らない。

テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

コメント

Secret

拝読しました。

 酒虎氏、春の命蓮寺の物語、楽しく読ませて頂きました。
 以前にお読みした時にも感じたことなのですが、所どころで日本の情緒を感じさせるような
 風流な云い回しが散りばめられていて、おしゃれだなぁ、と息をつきました。好いものです。
 お酒の描写は真似が出来ないくらいに深みがあって、普段は飲まない焼酎が飲みたくなります。
 何より、読みやすくて情感のこもった文章に惚れ惚れしてしまいました。
 船長の今後が楽しみです。好いお話でした。ありがとうございました。

>かべるね様

いつも感想有難う御座います。もう時期的にはすっかり夏で、暑い暑いという時期になってしまいましたねー……
酒に関しては、そう言っていただけると嬉しいです。自分が好きなものを表現出来るのは幸せです(ノ∀`)

今後も遅筆ながらUPしていきますので、宜しければまたご指摘など頂けますよう、お願い致します。
プロフィール

酒虎/シュトラ

Author:酒虎/シュトラ

連々と文を書きなぐっております。
オリジナル/二次創作/都々逸等。

<近況>
寒すぎて動きたくない。

<人となり>
名は体を表す通り飲兵衛。
ジンと日本酒は至高ですね。



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